東金での初のフラメンコライブが、無事に終わりました。
この結果は、たくさんの方の愛情たっぷりのサポートと、そして、当日、ライブを観に来てくださったあたたかいお客さまの声援から、パワーを頂いたからです。本当に、感激と感謝がやみませんでした。
ありがとうございました。
そして、素敵なお花や、あったかいメールや、感動の言葉で、幸せいっぱいです。
たくさん、感想や、色々な言葉をいただきました。
踊り手として、この生の言葉は、本当に何にも変えがたい素敵な栄養となるのです。
ライブを観ていただき、年明けに入会を決意してくれた、ライブに足を運んでくださった方からの言葉をちょっとご紹介します(ご本人にご了解いただいております♪)
以下引用文です
ほんとに素敵なフラメンコ・ナイトでした〓一夜明けた今となってはすでに夢のよう。
「ソレア」最高! フラメンコは「陽」の舞踊だと思いこんでいたけれど、敢えて「陰」を表現することもあるのですね。
昨日もちょっと言ったけど、わたしはすごく「怒り」を感じたのね。
それも他人に当たり散らすたぐいの怒りじゃなくて、自己の内面に向かう怒りというか、自己嫌悪なんかよりもっと激しい、破滅に向かうような……(←うーむ、言葉を操るのが仕事なのに稚拙な表現しか出てこず歯がゆいですが)それで泣きそうになった。
もしかしたらひどく的はずれかもしれないけれど。
でもおよそ芸術と呼ばれるものは、創り手のもとを離れた瞬間にひとり歩きするもの(だからこそ豊かになりうるもの)だと思うので、「あー、そんなふうに見る人もいるのね~」と肥料にしてもらえれば幸いです。
このメールを読んだ後、涙がこぼれてしまいました
。
的外れなんかでは、全くなく。
まさにそのとおり、表現したかったものを汲み取ってくれた観客の方がいて、そして、それが、その方の心と頭の中で、料理されて、身体に染み込むように。
どんな形でもいい、そうやって、誰かに何かが伝わり、心に一滴の雫が落ちることを願って踊っていたから。
本当に、嬉しかったです。
二部で踊ったソレアは、孤独、寂しさ由来するとされます。でも、、最近では日に当てるという意味の動詞から生じた可能性もあると言われてもいます。
人生には、本当に様々な、十人十色な、物語が流れていて。
その物語のどれもが、きっと価値があって。
楽しい事、幸せな事。
でも、どこか、理不尽な事、胸を締め付けられるようなこと。
大きな壁にぶち当たることもあるかもしれない。その困難も、乗り越えられるからこそ、立ちはだかるわけで、諦めてしまうから、負けてしまうだけと。
だから、
そのどれもが、きっとムダでなく、価値があり、意味もあって。
弱さを見せない事が強いというわけでもなく。
かといって、弱いことが、イイというわけでもなく。
その絶妙なバランスを保ったり、乱れたりしながらも、たわいもない事の奇跡と、どこかもろいようなこの世の中を泳がなくてはいけない、その切なさと貴重さに光を照らすようにと、思いながら・・・・
二部のソレアで踊りました。
でも、
また、
明日も、色々な事が起きて。
笑えないときもあるかもしれない、何かに捉われすぎてしまうことも、きっとあるかもしれない。
一瞬でもいいので、その和らぎとパワーとなるように、あのライブの瞬間は現実と遮断したかのような、時と、底知れぬ無限の可能性の光を贈りたかったのです。
それは、ライブでなくても、日々のレッスンでも、フラメンコに触れる時間がそうあるように、お手伝いしたいと思っています。
そして、全てのお客さまと、ハグをしたかったです。
何が言いたいのかワカラナクなってしまたけど。
あの日。
あの時。
時間を共有してくださった
全ての方に、感謝がやみません。
そして
大スキです。