美木子フラメンコ教室は、ヘルニアでも、膝がわるくても安心してフラメンコを楽しめる教室です!
それは、
足や腰、腕や肩のケアを取り入れながらレッスンを受講してもらっているからです。
右側がアフター画像です!
フラメンコレッスン前にて、ストレッチがわりに行うエクササイズ!
しかし、一般的な身体をのばす、ひっぱる、といった痛みやツッパリ感のあるストレッチは絶対させません!
なぜなら、人体の解剖学のしくみとして硬直した筋肉は無理にひっぱると余計収縮してしまい、痛みや可動域の悪い身体を回復させるどころか、逆効果なので。
各々、痛みのある部位にあわせ、楽ちんな不思議な体勢をとってもらい。
ほんの5分もかからず。
各所‥腕と、首、胸の前、お腹の深部をワーク。
しかも簡単。
ものの15分以内にこんなに、背中に腕が回るようになります。
なぜなら、まだ日本には15名ほどしかいない筋肉ケアのインスタラクターの資格を取得し。
(インストラクターとして掲載のHPは↓こちら)
この筋肉ケアはアメリカ発祥の医学的なメソッド、理論に基づいた資格で。解剖学的な人体のしくみをしっかりと取り入れた事実と理論が確固たる技術で、副作用もなく、いわゆる揉み返しなどもないスキルです。
さらにアロマや英国式リフレクソロジーの資格ももっており、食事療法あらゆる自然療法と身体のケアを融合させてレッスンをお届けしています。
生徒さんが、もちろん自分自身が身体を痛めることなく、安心してフラメンコを踊ったり。
そもそも、日常も快適な身体でさらに過ごして頂きたいからです。
先日、とある場所で初めて会った方がおっしゃっていた言葉、
『前に、友達が○○〇でフラメンコをやっていたんですけど。膝とか腰を悪くしてしまってフラメンコをやめたそうなんです』
だから、その方は膝や腰を痛めたら怖いから、フラメンコは絶対にやらない!っておっしゃられていました。
その通りです!(笑)
お金を使って身体を壊してまで趣味や習い事をするのは本末転倒だと思っています。
ただし美木子フラメンコ教室は、
フラメンコを楽しみながら、日頃の姿勢の悪さや、家事やお仕事で疲労している筋肉の強張りを改善しながら。
使っていなかった筋肉をつかう姿勢をフラメンコを踊りながら健やかに鍛えて。
時には仕事や家事、お悩みやストレスを身体を使う事で、踊りや身体に集中する時間の中で、新しい気持ちになったり。
新しい考え方や感じ方に気づいたり。
日常の、今のお仕事や生き方のスパイスになってもらえたら嬉しいなと思ってお教室を運営しております。
私が世界大会へ臨んだ事で、生徒さん達が
/
先生が頑張る姿を観て
勇気をもらった!
\
/
何にか
わかんないけど。
わたしも
頑張るぞ!
と
思った
\
/
フラメンコを始めてから
最近
腰が痛くなくなった
\
とか。
そんな気持ちに。
フラメンコ教室での出会いを通して。
たくさんのオマケを贈りたいと思って
教室を運営してます。
だから。
フラメンコをやったことで。
体を壊して欲しくない。
その根拠と理論の為に
筋肉ケアのインストラクターのライセンスを取得しました。
フラメンコ界はとても狭いので、どのエリアでフラメンコをやっていたかでだいたいどちらの講師の方の教室か見当がつくのですが。
それは、とっても残念なお話を聞きました。
どんなフラメンコに出逢うかで、その方の人生や観念、身体の状態すら変わってしまう事。
なぜ身体を痛めたのかっていうのは。
原因はまず、フラメンコのお稽古をするスタジオの床質、床の構造であること。
そして、どんな材質、どんなに足に負担のかからない床の構造のスタジオであったとしても、踊る時の姿勢のとりかた。
足のうつ圧のいれるポイントを間違えると、膝や腰を痛める事があるのも否めません。
また筋肉そのものの解剖学的な構造をしらずにフラメンコを継続する事はとてももったいない。
事実、わたしも講師なかまの友達や先輩方も、講師本人が膝や腰を痛めてしまった方も知っています。
故障しながらも気合で続けている方も存じてます。
でも。
趣味や気分転換、習い事としてフラメンコを楽しんでもらうには、気合で無理してがんばってもらうのはありえないと思っています。
なので。
東金教室は、とても古いけど。
フラメンコに最適な構造の床の構造にしてあるスタジオです。
茂原教室は、フラメンコ専用の床の構造ではないの、東金クラスとなレッスン内容が異なり。
脚に負荷のかからない振付けや、基礎練習をご提供し身体のケアのレクチャーを多めにしています。
都内のスタジオは、フラメンコ専用のレンタルスタジオのみをお借りして使用しています。
年齢なんて関係ない、
いくつになっても好きな事、興味のある事にトライできる人生。
もし今、四十肩でお悩みでも・・・・なぜ?そのような状態になってしまったのか?をひも解きながら、その痛みや可動域の狭さを改善しながら、思う存分フラメンコを楽しんだり、日常がより快適になってもらっています。
そんな生徒さんでいっぱいの不思議なくらい、身体がよくなっていく美木子フラメンコ教室です。
その秘密は・・・・
フラメンコの基礎練習の前に行っているストレッチがわりのエクササイズのワークです。
この後にフラメンコの基礎練習や振付けになります。
無理なポージングは、身体をこわす要因の1つになるから、録画して体をチェックし研究をしています。
だから美木子フラメンコ教室には・・・・・
フラメンコで膝を痛めて教室を辞めた人とか、腰が悪化してお辞めになる人はいません。
それがとっても自慢です。
筋肉ケアで血流もあがり、老廃物の排せつもアップ。
そして、自律神経も整い。
筋肉の緊張や強張りもとれるから痛みも解放でき。
みんな身体も心も快適になって、とっても楽しく継続されています。
そして、
もうひとつ。
届けたいのは、可能性に満ち溢れた自分らしさを取り戻すきっかけとなるフラメンコです。
フラメンコはそもそも迫害された民族の魂の叫びと言われる舞踊です。
時には、怒りや哀しみ、喜び、悔しさを音にして、身体を使って踊るというフラメンコ。
そこには言葉にできない、言葉にならない想いを踊り、音で、腕で、指先でクリエイトした作品だと私は捉えています。
だから、最初は今のような立派なフラメンコ専用の靴もなく裸足で踊り。
ギターの伴奏も最初はなく・・・・・人間のつくる音である、歌声と、木のテーブルを叩く音、床を足で叩く音は起源だったそうです。
それから、ギターの伴奏がつき。
華やかな衣装や、髪飾り、ギターや歌、そして照明や音響で芸術性が高まりました。
でも
今回わたしが臨んだミセスジャパン、そして世界大会であるミセスアジアでは、そのフラメンコの起源であるギターもない状態のフラメンコをタレントショーで披露させていただきました。
マイクなし、音源なしで臨んだフラメンコでした。
踊る床の材質も構造もわからない状況下。
カホンという打楽器と、小さな木の板だけ持ち込み・・・・・
今のような商業性のあるフラメンコになる前の、民族が魂の叫びを身体で奏でたように、わたしも挑戦してみたかったから。
自分から発する音のみで、想いを体現したかったからです。
ギターの音。
歌声もないフラメンコで。
組み合わせた足音、腕の動き、指の動き。
身体の動き。
筋肉の動きがみえる衣装を選び。
腕や首筋、時に見える足でさえも、体現したかったから。
試みでした。
挑戦。
それは、時に迫害に悩み、苦しんだジプシーたちのように叫びたかったから。
これまでOLの習い事で始めたフラメンコで。
OLをやめてスペインにフラメンコを勉強に行って。
帰ってきてまた正社員になり、お金をためてまた勉強に行って。
そして、フラメンコを踊るタブラオという専門店で踊らせ貰うようになり。
また踊り、踊る為に踊りを学ぶ為にお金を稼ぐために派遣社員になったりもしました。
それから、外国の方へ日本語講師の資格や、アロマ、英国式リフレクソロジーの資格を取り。
企業に勤めるのをやめて、資格というもので仕事を始めて、踊りつ続けて。
起業して。フラメンコ教室も始めて・・・・・・
本当に色々な事がありました。
OL時代、そして色々学び、経験してきて。
日本独特の縦社会の理不尽な事。
責任感や思いやりの無い人たちや、配慮の無い言動も沢山遭遇しました。
そして。
わたしの根源にいつもあったのは。
解放からえる自由や、個性や、喜び。
そして、いつも意味のあることが大好きでした。
心がこもっていること。
愛があること。
本音がある事。
異文化や異論対して、そこにはいつも学びと気づきと、表裏一体の優しい意味が隠れていること。
そして
それぞれが自分であること!!!!
一様でなくていい。
それぞれの自分らくし。
自分を生きること。
そう思い。時に悩み。
すぐ泣いて。
怒って。
でも
また考えて
想って。
ずっと走り続けてきた今日まで。
それをフラメンコで、スピーチで、言動の全てで臨んだミセスアジア、ミセスジャパンでした。
これからも。
自分らしい形であるお手伝いとなるフラメンコの楽しさを伝え。
そして、ご縁ある方へ届けていきたいと思っています。
そして。
ダンス経験がなくても。
リズム感とか、運動神経とか、年齢とか関係ない。
ハンディがあろうが、なかろうが。
足がどうの、腕がどうの関係ない。
楽しんでほしい。
そう思っています。
耳の聞こえない方へフラメンコをお届けした時。
舞台から音が骨に伝わって身体から感じた、と聞かせ貰いました。
目の見えない方にフラメンコをお届けした時も。
車いすに乗っている方にフラメンコをお届けした時も。
伝わったと言われた。
だから。
固定観念でつぶさない。
可能性と未来を届けます、
フラメンコでも。
福祉でも。
美でも健康でも、